後半〜 神話と自然の旅 四国一之宮と現存天守城巡り 4日間 

③1月30日(火) 高知〜父母が浜〜丸亀

山旅人社・神話&国一之宮巡りツアー四国編の後半!
本日の予定は、高知城→桂浜(坂本龍馬像)→土佐国一之宮・土佐神社→四国のウユニ・父母が浜→丸亀城→オオクラホテル丸亀

お!朝食一番乗り〜(笑)

豊富すぎて、はい取りすぎました。

今日はまず!

高知城(100名城/現存12天守)
高知市の中心の高智山(大高坂山)の山頂にある城。
外観4重の望楼型天守。小天守や付櫓を伴わず単独で建つ独立式天守。

高知城

初代藩主・山内一豊(かつとよ)は、関ヶ原の戦いの功績により徳川家康より土佐国を与えられる。以前は豊臣秀吉の直臣として居城としていた遠州・掛川城を模して1603年に高知城を造ったといわれています。それから1869年(明治2年)まで山内家が16代に渡り城主。

天守と御殿の両方がキレイに残っているのは日本でここ高知城のみとのこと。
すごいですよね。
このお城を建てた山の名前や漢字が改名され、ここが地名の由来だったんですね。
大高坂山(おおたかさかやま)→河中山(こうちやま)→高智山(こうちやま)→高知(こうち)。
最上階の高欄、いや〜素晴らしいお城でした。

続いて、高知市南部の太平洋に面した桂浜ビーチへ。
月の名所、高知灯台、竜王宮岬など観光スポット。
でもファンを含めてここに来る人の一番の目的は〜!

坂本龍馬像

坂本龍馬に会いに来るじゃないかな。
像は5.3m、全高13.5m。
以前来た時は、龍馬像の横に仮設階段が設置されていて龍馬の顔の横に立てたが。
修復でもした時なのかな。

高知市街地北部の土佐国一之宮・土佐神社へ。

土佐神社 本殿

本殿は、入母屋造りで千木や勝男木はありませんでした。
本殿建築は、建てた時代や、元祖を留めるか時代の流れか、仏教仏堂影響などで造りは様々だそうです。とくにルールはないが、千木や勝男木がないと神社じゃな〜いと氏子たちにお願いされて千木や勝男木を後で付けた神社もあるみたいです。さてさて
御祭神は、味鋤高彦根神(あじすきたかひこね/別名:迦毛大神)と一言主神(ひとことぬし)
この御祭神を聞いて、『あ〜あの系の神様ね〜」っていう人は日本神話や古事記、八百万神に詳しい人ですね。知らない、聞いたことないが一般でしょうね。

社伝には、土佐国造が土佐大神を奉斎、8世紀奈良時代に大和・加茂氏が味鋤高彦根神と一言主を祀り、神社を土佐高賀茂大明神社と称した。
とありました。一言主神は他の神様と同一神の仮説もあり、そもそも名前なのか世襲制か役職名なのかも詳細は分かりません。
説:
○一言主神とは?(諸説あり)
①(古事記)「吾は一言主の大神なり」と葛城山にて出会った雄略天皇に示す。
②(先代旧事本紀)素戔烏尊(すさのお)の子で土佐から迎えられ大和・葛城に祀った。
③(一言主神社)大国主の長子・事代主(大物主)の別名。
○味鋤高彦根神とは?
(古事記)大国主命と多紀理姫命(宗像三女神)の子で妹神は下照姫(高照姫)。異母兄弟に、事代主と建御名方。
妹・下照姫の旦那・天若日子とそっくり説。

ランチは、近くの鉄板焼きとサンドウィッチの店ふらりに立ち寄りました。
いや、立ち寄りというよりドドッと押し寄せまった感じだったかな(笑)。

さて、一路香川の瀬戸内海沿いの四国のウユニ・父母ケ浜へ。

南米ボリビア「ウユニ塩湖」のような写真 を撮るために来ましたが、風もあり波が立ち、ただの海辺の海岸状態でした。
ウユニっぽい写真撮影のベスト条件(潮が引いた干潮、波が立たない、風がない)は揃っていませんでした(泣)。
海遊びをして丸亀へ。

丸亀城(100名城/現存12天守)
1660年築の時に独立式層塔型3重。現存天守の中で最も小規模である。

丸亀城

室町時代初期に亀山に砦を築き、1597年豊臣政権時代に生駒親正が亀山への築城が始まり。しかし1615年の一国一城令により丸亀城を廃城にし、高松城へ。
1643年讃岐国が東西に分裂され、丸亀藩初代藩主・山崎家治が丸亀城を再築。
1660年藩主・京極が現在の3層3階の天守を完成。それから7代後藩主・京極時代1869年(明治2年)廃藩置県。
丸亀城の石垣島はとても高くキレイでしたね。

宿泊は、オオクラ丸亀ホテル。
夕食は、フランス料理!フルコース!

パン、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザートの5コースでしたが、スープと後菜を取り忘れ(笑)
いや〜レストラン館内もシンプル洋風!そんな場所で洋食食べていると日本にいることを忘れてしまいますね〜。雰囲気も良く美味しかった〜。

④1月31日(水) 丸亀〜淡路島〜大阪〜西宮

本日の予定は、丸亀→讃岐国一之宮・田村神社→阿波国一之宮・大麻比古神社(おおあさひこ)→高田屋嘉兵衛公園→淡路国一之宮・弉諾神宮→三宮→新大阪→西宮

高松の市街地と高松空港の間にある讃岐国一之宮・田村神社へ。

御祭神は、なんと5柱!その5柱総称で田村大神。讃岐を発展させ1300年以上この地の鎮守神。本殿の地下には隠された井戸・龍神伝説があるとか。
①倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)
孝霊天皇(第七代)の皇女。三輪山の神・大物主妻。
②五十狭芹彦命・いさせりひこ(別名:吉備津彦命)
倭迹迹日百襲姫命の弟。四道将軍の一人で吉備を鎮定し吉備国の祖神。
③天隠山命(あめのかぐやま)(別名:高倉下命・天香久山命)
饒速日命(にぎはやひ)の子。神武天皇の東征の際、熊野にて昏睡から覚醒さ
せ窮地を救った神。越後国・彌彦神社御祭神。
④天五田根命あめのいたね(別名:天村雲命あめのむらくも)
天隠山命の子。父とこの地の開拓水利の基を定めた。
⑤猿田彦大神
天孫・ニニギ降臨のとき先導を申し出て、守護し高千穂の峰に導いた神。
御神体5柱の本殿と摂社、末社、龍神像などなどあって広くて素敵な神社でした。

四国最後は
鳴門市の大麻山の阿波国一之宮・大麻比古神社(おおあさひこ)へ。
場所的には四国88ヶ所の第1番札所・霊山寺近くです。

大麻比古神社

本殿は流造り。屋根の千木は、外削ぎなので天津神か男神(神社庁は千木が外削ぎか内削ぎで規定はありませんと言っているが)勝男木は5本。
御祭神は大麻比古大神と猿田彦大神の2柱。
①大麻比古大神は天太玉命(あめのふとだま)
古事記:天照大神が天の岩戸隠れからさそいだすため、天児屋命(あめのこやねのみこと)と祈祷を行ったり、共に大神の前に鏡を差し出した神。
また、天孫降臨の際に、ニニギ尊に従って天降った神。
②御神山の大麻山に祀られていた猿田彦大神合祀。

本殿はぐるっと1周回り参拝。本殿裏にはドイツ兵が作ったミニ眼鏡橋やドイツ橋がありました。
しっかり参拝もでき、周りも見て回れて良かったです。

さぁ!ランチは鳴門うどんだー!
大麻比古神社から近い、地元に人気な&地元っぽい舩本うどん屋へ。
鳴門うどんは讃岐うどんと違うよと聞いていました。
とは言っても、同じ四国で隣なんだから、四国外の人には違いが分からないでしょう〜!と思いながら入店。
メニューに「鳴ちゅるうどん」と記載があり鳴らせてみようじゃないかー!と、うどんをオーダー。

麺は太さ長さが不揃いで、ちょと平べったいきしめんぽいとの声もありましたね。うどんにコシはない方ですが、私はちゅるちゅるっと美味しくいただきました。確かに讃岐うどんとは全く違いましたね(笑)

大鳴門橋を渡り、淡路島へ。
高田屋嘉兵衛公園に立ち寄り、ロシア軍艦艦長ゴローウニンと淡路出身の北海道商人高田屋嘉兵衛の日露友好像を見に行きました。
ゴローニン事件の日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた嘉兵衛さんの話を聞いて感動しました。素晴らしいことですね。

そして最後の訪問地(参拝)は、淡路国一之宮・伊弉諾神宮へ。
格式はトップクラスの「神宮」「官幣大社」「国一之宮」の三冠王の宮です。
ちなみにこの三冠王の宮は日本全国に8宮のみなのです。

本殿は流造り。屋根の千木は、外削ぎなので天津神か男神を意味する。勝男木は5本。天照大神の父神なのでもっと多くてもいい気はするが(笑)
伊勢神宮の内宮は勝男木が10本。外宮は9本です。

御祭神は伊弉諾尊と伊奘冉尊の2柱。
(古事記)国生みと神生みの大業を果たされた神。天照大神、月読神、素戔嗚尊の親神。
記載がある中では日本一古い神社とのこと。
(「日本一古い神社」って名乗るところすでに3〜4社ぐらい観た気がするな〜。)
伊弉諾の幽宮地・多賀はここで、居の後を神社にしたとのこと。

これにて終了。
一路、三宮駅、新大阪駅を経由して西宮へ。

古事記や神々、日本の歴史に詳しくなりましたね。
ぐるっと四国の旅ありがとうございました。

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