神話と自然の旅 四国一之宮と現存天守城巡り 4日間 前半〜

今回の山旅人社・神話&国一之宮巡りツアー四国編は第九回目となります。
ここ四国は、『古事記』神話では淡路島に続き、日本列島で二番目に創造された島です。古事記には「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と記されています。昔は「伊予島」などと呼ばれていました。
近世以降は、伊予国(愛媛)、土佐国(高知)、讃岐国(香川)、阿波国(徳島)の4つの令制国が存在し「四国」と呼ばれ始めた場所です。

①1月28日(日) 広島・福山駅〜道後温泉

福山駅に全員集合して、山旅人カーに乗車して出発!
しまなみ海道を走ります。
本日の予定は、 福山駅→大山祇神社→能登水軍(潮流船)→松山城→道後温泉です。

前に自転車で頑張って走ったなー。
さて、最初は大三島にある伊予国一之宮・大山祇神社へ参拝。
四国唯一の国幣大社です。

御祭神は、大山祇大神/おおやまづみおおかみ(別名:和多志大神/わたしのおおかみ)。
一般的には山の神と言われていますが、別名から山だけでなく大海原や渡航の神とも読み解けますね。
古事記では、天孫の瓊瓊杵尊(ニニギ)の皇妃として迎えられた木花咲耶姫(このはなさくやひめ/富士山の御祭神)の父と記されています。
大山祇は、ニニギ尊に結婚は、木花咲耶姫だけでなく姉の石長姫も一緒に!と2人を送るが、ニニギは石長姫を断り木花咲耶姫のみと結婚し、大山祇が怒ったという話も神話にありますね。
大山祇神社によると、大山祇の子孫である乎知命(おちのみこと)が四国に渡った際にこの大三島に大山祇大神を勧請・鎮祭が神社の始まりと言われています。

続いて一路、大島の能島水軍潮流体験へ。
まずはランチ!

能登水軍海鮮丼

いや〜めっちゃ美味しかった!
ロングジャンバーを借りて潮流船に乗車し、体感へ。

荒波が打ちつけ容易に走れないのは運転していなくても舵をとっていなくてもわかりました!船が転覆する難所で、海に落ちたら潮の流れがわからない人は、泳げる人でもライフジャケット着ていても溺れちゃうとの説明でした。

能島城跡(続100名城)
島にちょこっと上陸。石垣が残っているのみ。
能島村上家が拠点としていたお城。島全体が要塞となっている海城。潮の流れが読めて潮の満ち引きの時間帯がわかっていないと簡単に攻められないお城ですね!
不落城ではあるみたいですが、能島村上は九州・大友軍側で、中国・毛利軍と対立していて、1570年に毛利軍&小早川軍、+同じ村上一族だが毛利側に着いた3つに分かれた2つ(因島村上軍、来島村上軍)が攻めてきて能島城合戦があったとのこと。

クルーズ後は、村上海賊ミュージアムにて、14世紀ごろから瀬戸内海の広い海域を支配し、活躍した村上海賊一族の足跡を辿りました。また村上海賊は3家(来島村上、因島村上、能島村上)に分かれてそれぞれ活躍したことも学習。
そもそも「海賊」と「水軍」の違いとして、江戸時代は「水軍」と呼称し海軍の前身とする海上保安官との見方が強いが、「水軍」では多様な活動や生活を表現できないため近代では漁業、交易や流通の安全を守る海上活動を中心にしていたという意味での「海賊」も用いているとのこと。
ただ現在は、諸外国や映画の「海賊」。理不尽に船や金銀を略奪する者たちをイメージしてしまいがちな人も多いのでは?
村上水軍・村上海賊どちらも使われていますね。ここではいろいろな紹介や説明があり海と共に生きる人たちの時代という真を学べました。ね?

来島第一大橋を渡って、四国・今治へ上陸しそのまま松山へ。

来島大橋

松山城(100名城/現存12天守)
松山市の中心にある勝山132mの山頂城。
下から山頂132mまで登城道があり歩くと30分ほどで登れる山城です。

今回は、ロープウェイにて山頂へ(笑)!

3分で着いちゃいます

江戸時代以前に建造され「現存12天守」
武将・加藤嘉明が創設者で着工開始。完成まで4半世紀後に完成。
加藤嘉明は松山に25年住み、会津に転封。
伊勢国・桑名城主松平定家が松山藩主となり14代世襲し明治維新まで城主。

松山城

天守閣へ登城!
三重の連立式天守。

東側にはがっつりと雲が覆いかぶさっていました。まー青空が見れて、松山の街や来た瀬戸内海も展望できたので良しとしましょう。
立派なお城でした。
そしてお宿は、道後温泉の椿館!

温泉もご飯も大満足でした!

 

②1月29日(月) 道後温泉〜宇和島〜高知

本日の予定は、道後温泉→湯築城跡→内子座→宇和島城→雲の上→高知です。
まずは、がっつり朝食いただきました。

椿館のバイキング朝食

湯築城跡(100名城)
100名城入りしていますが、城跡で建物は何も残っていません。現在は道後公園として整備されています。
松山城より3世紀ほど前の1335年に築城され、長宗我部や豊臣秀吉の四国征伐で小早川が侵入。後城主が移城したため廃城となったお城。

道後温泉本館の前を通りましたのでパシャ📷

道後温泉のシンボル的本館がとてもキレイになっていました。
一路、宇和島へ南下〜!
途中、創建100年以上の大正期からの現役芝居小屋・内子座に立ち寄りました。

地元住民の願いにより、老朽化で取り壊されず改修された純和風な芝居小屋。
館内見学可!回り舞台、花道、そしてすっぽん、奈落(地下空間)など見れるそうです。いや〜すごいですね〜!

ランチは、道の駅うわじまにて、各自選んでいただきました。

鍋焼きうどんや鯛定食なども美味しそうでした!
宇和島の街中・栄町港付近には南国チックにヤシの木が街路樹として並んでいました。

宇和島城(100名城/現存12天守)
宇和島市の中心にある丘陵地73mの山頂城。
下から山頂73mまで登城道があるが石段の直登ルートは工事中のため立ち入り禁止なためぐるっと回って歩くと20分ほどかかりました(笑)

白壁が美しい三重の城
1601年、築城の名手・藤堂高虎により築城。
その後、明治まで伊達家の居城でした。

宇和島から高知市内へ! 途中、隈研吾作の木橋がある道の駅に立ち寄りました。

高知に到着。
今日のお宿は、高知県で最高と言われる城西館!

かつおマイスターという資格があるなんて〜高知ならではで、すごいなー。

かつおマイスターの「藁焼き鰹のたたき」を見せてもらいました!!
すごすぎっ。初めて観ました!

じゃじゃーん。食べ過ぎること確定なメニューでした!あはは〜。

後半へ続く〜

高千穂ガイドブログ