③:5月10日(金) 米子 〜 島根・玉造温泉
弓ヶ浜半島を越え、島根半島・美保関へ。
事代主(ことしろぬし/大国主の長男)ゆかり地・美保神社に到着。
本殿は2棟比翼大社造。
御祭神は、右殿(向かって左)に事代主神、左殿(向かって右)に三穂津姫(みほつひめ/大国主神の后の一柱)
地名はこの三穂津姫に縁があると言われています。
事代主は、神屋楯比売(かむやたてひめ)と大国主との間の子供なので、美穂津姫は義理の母親。
この美保関(美保の岬)や御祭神の事代主は古事記の「国譲り神話」に出てきます。
古事記「国譲り神話」==
大男・建御雷神(たけみかづち)が出雲の稲佐の浜に天から降りて、大国主に対し「葦原中国(豊葦原水穂国)を、天神の御子に譲るか」と国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神に返答を託した。そこで建御雷神が美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主神は争うことなく譲ることが最善の道と判断し、「言葉通りこの国を差し上げましょう」と答えた。
この部分は、ちょうどこのエリアでの出来事みたいですね。今でも釣りの人気スポットですもんね。
国譲りの話をもうちょい続けると。。。↓
事代主は譲りますと即答したのに、弟の力自慢派・建御名方(たけみなかた)は納得せず、なんと大男・建御雷神に対して、力でねじ伏せようとしたらしいが大男・建御雷神の一方的な突っ張りや張り手で信濃の諏訪湖まで押し切られ、「参りました。私はもうこの地に留まり諏訪から出ませんので許して下さい。出雲国は父・大国主の判断に従います。」と言い信濃に残りました。
まぁ、建御名方のような行動をとってしまうことはあり得るかもですね〜。急に国(土地)譲れ〜と言われ、困るし「なぜ?」となりますね。
建御名方はガタイがよく、力自慢派っていうことは、負け知らず男だったから力でねじ伏せれると思ったのかな。しかし、諏訪まで押し切られるって建御雷神は格&ガタイ違いだったのでしょ〜。
大国主は、自分が隠れ住む宮を天津神の宮殿のような高い建物を願い、稲佐の浜の近くの山の麓に高さ48mの宮殿を建ててもらい住み始めました。
神話より事代主が最初に魚釣りをしていたとして、鯛を手にするえびす様のモデルとも言われ、日本全国のえびす社の総本宮だそうです。
とういうことで話は旅に戻し、美保神社。
本殿は2つ並んでいました。千木の形で向かって左が事代主、右が美穂津姫と分かりましたね。
素盞嗚・大国主系の神様は大社造ですね。
半島を東先端・美保関灯台へ。
国譲り神話に基づくと事代主はここで釣りをしていたのかな〜。
天気がとても良く、隠岐諸島(島前と島後)がうっすらですが見えました!
昔は隠岐国として国一之宮は2社。懐かしい〜。
境港のゲゲゲの鬼太郎たちの像がある水木しげるロード、ベタ踏み橋(江島大橋)、大根島を通り安来の月山富田城跡へ。
道の駅広瀬富田城に到着。ちょっと早いがここにてランチ。
名物割子そばや天ぷらそば、蕎麦定食などいただきました。
100名城・月山富田城跡
本丸跡台・月山山頂へハイキング!
戦国大名・尼子氏の歴代が百年以上本城とした。難攻不落の山城だったと言われています。
城主は尼子氏、毛利氏、関ヶ原の戦い以後、堀尾氏と変わりました。
武士・中山鹿介もこの地区出身。
天気良くて、全員登頂出来たし、いいハイキングが出来ました。
さて、松江の南の出雲国一之宮・熊野大社。
御祭神は、加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)=素戔嗚尊(すさのおのみこと/天照大神の弟)古代ならではの個の詳細説明を尊く加えた名前と言われています。
ここの熊野大社は、熊野の神社としても出雲の神社としても由来が古く、社格が高く、祀られている神様の家系の関係上?、などなどいろんな意味で本家本元の神社なのです。
熊野と言えば、紀伊国の熊野三山が有名ですが、実は本家(本宮)はここなのですと言われています。熊野本宮大社の社伝では、「出雲地方の熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請。出雲国の熊野大社は熊野本宮大社の元である」と。
また、知名度も社格も高い出雲大社との関係性は、古来からの慣わしで出雲大社神宮の襲職は、ここ熊野大社から神器を拝戴。また、毎年11 月 23 日の出雲大社・古伝新嘗祭 (こでんしんじょうさい) に使う「火」を造るための臼と杵を、出雲大社宮司が餅を持参し熊野大社へ出向き、10月に鑚火祭(さんか)という臼と杵を出雲大社へ送り出す祭りを行う。
古事記(素盞嗚神話編)==
天照大神から高天原より追放され地に降りた際、老夫婦の足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)、娘の櫛稲田姫(くしいなだ/櫛名田姫・奇稲田姫)に会った際泣いていた。「毎年、高志から八岐大蛇(ヤマタノオロチ)がやってきて娘を食べてしまい、まもなくその時期となりこの子は最後の8人目の子となるのです」と理由を話す。素盞嗚は、「八岐大蛇退治する代わりに櫛稲田姫と結婚させてほしい」と申し込むと老夫婦は承諾した。
では、8つの門と8つの酒桶を用意してくれと老夫婦に頼み、櫛稲田姫を林内に隠し八重垣で囲った(現八重垣神社・奥の院)。
時が過ぎ八岐大蛇が現れ、8つの頭を酒桶に突っ込み酒を飲み干し、酔って寝ている所を素盞嗚が十握剣で大蛇の身体を切り刻むと大刀が出てきた。大刀を天叢雲剣と名づけ、後に天照大神に献上。
櫛稲田姫を迎えに行き後、住む土地を探していると八雲山の山麓にて「吾が御心清々し」と、発したそこに住居を構えた。語源「清々しい」から、この地を「スガ」と名付けた。(現在の須我神社)
さて、「清々しい」が地名となった須我神社へ。
御祭神は、夫婦2柱 須佐之男命(すさのお/素戔嗚尊)と稲田姫(くしいなだ/櫛稲田姫・櫛名田姫・奇稲田姫)
※名前の漢字は、古事記・日本書紀・神社で違うことがあります。
古事記:
八岐大蛇を退治した須佐之男命(すさのお)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り「吾が御心清々し」とおっしゃって宮造りをなさった。そのとき美しい雲の立ち昇るのを見て、
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」
と歌い、日本で始めての宮殿に住みました。
記紀に記載されている「須賀宮(すがのみや)」がここで、日本初之宮(にほんはつのみや)。
日本で一番古い歌であり、この地が「和歌発祥の社」。
と、日本初と記されたものが「日本初之宮」、「和歌発祥の社」と2つありました。
本日の宿は、玉造温泉のグランドホテル長生閣
出雲尽くしのお食事とデザートのパンナコッタといちごムーズと苺添えも美味しかったです。
④:5月11日(土) 島根・玉造温泉 〜 出雲
八重垣神社参拝&奥の院の鏡の池占い
御祭神は、夫婦2柱 素盞嗚尊(すさのお)、稲田姫命(くしいなだ/櫛稲田姫・櫛名田姫・奇稲田姫)
神話:素盞嗚尊は、佐久佐女の森(奥の院)の大杉を中心に『八重垣』を造り、櫛稲田姫を隠し八岐大蛇退治へ。退治後、ここに戻り櫛稲田姫と結婚しました。歴史上、葦原中国にて初めての結ばれたということから「(古代)結婚式発祥の地」「縁結びの地」と言われています。
社名の語源は、ここに八重垣を作って櫛稲田姫を守ったことにより『八重垣神社』。
鏡の池で「縁結び占い」出来ます。占い紙を浮かべ、早く沈めば縁が早く、遅く沈むと縁が遅く、近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人とご縁があるという占いです。うちのメンバーで自分と家族分を占った方がいました(笑) 身近な人と縁が早いと占い結果が出ていましたね。
現存12天守の1城 100名城・松江城
ここ松江城天守は2015年に国宝に指定されました。
天守の広さ:第2位(12天守中)
天守の高さ:第3位(12天守中)1位:姫路城、2位:松本城
天守閣はどっしりしていて、城中に入ると他の城より広く、高くとすごく歴史情緒が感じられるお城でした。
歴史:1611年より堀尾忠晴、京極忠高、松平直政が移封し、明治に入るとついに松江城にも廃城令が下り、天守は地元の豪農・勝部本右衛門父子と旧藩士・高城権八らの尽力で国から買い戻された。
松平家7代藩主・松平治郷不昧公はお茶好きの藩主で、茶人としての活躍により松江では菓子処としても有名。ということでお茶処探し(笑)
松江歴史館内でお茶が出来ると聞きつけて、メインの歴史館内は見学せずお茶処/喫茶きはるへ。
初日、砂の美術館の砂と水だけでつるく砂の彫刻もすごかったけど、すべて砂糖で作っている工芸菓子「椿と牡丹」がリアルですごすぎる!触ったり噛み付けないようにしていました(笑)
ランチは、道の駅・キララ多岐「ごえん」にて海鮮定食や海鮮丼など食べました。
石見国一之宮・物部神社
御祭神は、宇摩志麻遅命(うましまじ)
父は饒速日命(にぎはやひ)母は登美夜姫(とみやひめ/御炊屋姫みかしや)。大和の長髄彦(ながすね)の妹
日本神話:
饒速日命は、十種神宝(とくさのかんだから)を奉じ天磐舟(あまのいわふね)に乗って天降りし大和へ。この地を治めていた長髄彦の妹と結婚し、宇摩志麻遅命を産む。
御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。
本殿裏の御神体・八百山の麓に宇摩志麻遅命のお墓がありました。
山出雲稲佐の浜
国譲り、国引きの神話で知られる浜。
大国主大神と建御雷神(たけみかづち)が国譲りの交渉をした地。
旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜。
出雲国一之宮・出雲大社
御祭神は、大国主命
御祭神・大国主神は、古事記で色々な女神(未知)との間に180柱前後の子供をもうけたことから『縁結びの神様』と言われます。
出雲大社は縁結び神社、恋愛や結婚だけでなく人との繋がりのご縁。
16時過ぎていたので、本殿側面や裏への道は通行止めロープが張られていました。
なので、東・西十九社、裏の素鵞社には参拝出来ませんでした。
今日のお宿は、出雲大社の目の前にある老舗宿・竹野屋旅館です。
竹内まりやさんの宿です。
料理長のこだわりがすごすぎました!
BGMで竹内まりやさんと山下達郎さんの曲が流れていました。
⑤:5月12日(日) 出雲 〜 大阪
足立美術館に立ち寄りました。
「日本庭園と日本画」は壮大でした。
四季の「美」がこれほど見事な日本庭園を通して観れ、日本画ならではの「美」は横山大観や明治、大正、昭和のさまざまな画家のコレクションなど、日本の美の感動をいただきました。
最後は、目玉おやじ苺大福食べて大阪へ。
、因幡・伯耆・石見・出雲国めぐり神話や古事記の世界と戦国時代の世界を感じたり、入り込んだりの5日間でした。いろいろありがとうございました。
高千穂ガイドブログ