後半〜 神話と自然の旅 越国一之宮と百名城巡り 5日間 

今回は、越後国、越中国、能登国を回っております。
前半は3日間で越後国〜そして越中国・富山へ入ってきました。
今日から、旅の後半4日目です。

④:11月23日(木) 越中国/富山・上市町 〜 富山・氷見

さー後半戦です。
今日は、越中国一之宮・雄山神社(前立社壇)〜 越中国一之宮・高瀬神社 〜越中国一之宮・射水神社(いみず)と高岡城 〜越中国一之宮・気多神社 〜雨晴海岸 〜氷見まで行きます。

一之宮神社参拝が続きます。
続く?
一之宮って一国に1社じゃないの?
平安〜鎌倉時代初期にかけて「国一之宮」を指定していったと言われています。
定義や選定は、地元に由緒深い神社、御祭神信仰のあつい神社に序列が生じその最上位から社名に変更はなく社格として一之宮、次に二宮、三宮、四宮、五宮と付けらえたようです。
朝廷や国司が指定したばかりではく、時代や風習、町や神社に変化があり、一国に2社以上の一之宮が存在しているところもあるとのこと。
現在は、神社本庁の調査部が選定してまとめた「全国一の宮表」が一之宮と認められているようです。
ここ越中国は全国でも珍しく一之宮が最多の4社もあるんです。
①雄山神社(立山頂上峰本社、中宮祈願殿、前立社壇)、②高瀬神社、③射水神社、④氣多神社。

立山連峰

展望〜!剱岳、前剣、大日岳、立山、浄土山、鬼岳、獅子岳、 鍬崎山、薬師岳と今朝も立山の山々がバッチリ見えています。

越中国一之宮①・雄山神社(前立社壇)

 

御祭神は、雄山神社中宮祈願殿と同じく伊邪那岐神と天手力雄神。
雄山神社3社の中で一番平野に近く、立山の前に立つお社ということで前立社壇。
峰本社は立山の雄山の頂(標高3000m)にあり冬期間は雪深く登山して本社に参拝が困難なため山麓岩峅に社壇を建てたとのこと。名だたる名将(源頼朝、足利義稙、佐々成政、加賀藩・前田氏ら)が本殿を再建したり造営や改修したとのこと。

大パノラマ展望

剱岳の北部に大明神山、毛勝山、釜谷山、猫又山、池平山もバッチリ見えました!

越中国一之宮②・高瀬神社

御祭神は、大己貴尊(大国主命)です。
社伝によると素戔嗚尊の御子で、出雲国より越中国に渡ってきて国土を開拓し農耕医術の法をお授けになり民生の安定に広大な御徳を残された。
御鎮座2000年歴史を持つ神社と言われています。
今年の10月に半世紀ぶりにふき替えやさい銭箱と拝殿の鈴の緒を新調し、拝殿の賽銭箱の上と鈴の緒には、地元井波彫刻師が手掛けたという12干支の動物と御祭神の大国主に縁が深いうちでの小槌と小兎の木の彫刻がありました。
鈴の緒には寅(左)、卯(うさぎ)、辰(右)去年、今年、来年の順でした!

道の駅となみに立ち寄り、高岡へ。

越中国一之宮③・射水神社(いみず)と高岡城(百名城)

御神体は、瓊瓊杵尊(ににぎ)。「天孫降臨」と言われている高天原より日本に最初に降りてきた神様。天照大神の子・忍穂耳尊(おしほみみ)の子。
本来的な御神体説はその他2つ。
伊弥頭(いみず)国造の祖神を祀っていた。

霊山・二上山の山を「二上神」として祀り、神仏混合が主流だった江戸時代までは「二上山大権現」。神仏分離令後は、天孫・瓊瓊杵尊を祀られ江戸時代の城跡に社殿を遷座したとのこと。
城内に構える国一之宮は全国でここのみ!だそうです。
加賀藩主・前田氏ゆかりの高岡城跡は、建物はなく今は高岡古城公園。

ランチへ移動。

途中、日本最大大仏の高岡大仏


昼食は、郷土料理氷見うどん。手打ちうどん美味しかったー!

越中国一之宮④・気多神社

御神体は、大己貴尊(おおなむち)/大国主。
能登国一之宮・氣多田大社から田大神(大己貴尊)の分霊を請じ迎えたと記されています。
本殿の屋根には千木も鰹木もなかったです。
千木や鰹木があるないに神社規定はないらしく、ない神社は元は仏教要素の強い寺が母体の神仏混合の神社寺だった可能性は高いですね。
氣多の杜・高志のみはらし台から富山湾と立山連山が展望できました!
天気が良かったので、道の駅雨晴に立ち寄り。

富山湾+立山連山展望。午後や夕方で立山連山の全景が見えることはレアとこのと。
ラッキーでした。

今日の宿は氷見の海岸沿いにある「うみあかり/海灯」

昔を知っている神谷さんからすると、増設されて綺麗になってていいね〜とのこと。
夕食は、

地元富山料理いっぱいの御膳料理でした。量が多くてびっくり!どれも美味しかった!

⑤:11月24日(金) 越中国/富山・氷見 〜能登国/能登半島 〜金沢駅〜関西

今日は、能登半島の七尾城跡、能登国一之宮・氣多大社、2カ所を巡ります。
朝ご飯は御膳+焼き魚とサラダのバイキング付き。
本日最初は、七尾城へ。

七尾城(百名城)

石堂山系に築かれた規模の大きい山城です。地名の由来は七つの尾根がある山系で、城下町名も七尾。
歴史としては、戦国時代の1500年前半に能登国守護・畠山氏が築きました。
上杉謙信の攻撃で落城、その後織田信長から能登国を与えられた前田利家が入城したが、金沢城へ移ったあとここは廃城となる。

七尾城展望台より

七尾南湾や能登半島の展望は七尾城の魅力の1つと上杉謙信が絶賛しただけのものはありました。

七尾城本丸跡地へハイキング。
木葛チップが敷かれていて歩きやすかったです。
百名城スタンプは、麓のお城をイメージした建築の七尾城史資料館にて。

能登国一之宮・氣多大社

御祭神は、大己貴尊(大国主)、須佐之男命(義理親)、奇稲田姫(くしなだ/須佐之男の妻)、菊理媛尊(天津神/白山比咩神社)、事代主神(大国主子)
拝殿の奥に本殿(大己貴)、そして並んで左:若宮神社(事代主命)、右に白山神社。
奥宮が鎮座し、「入らずの森」と呼ばれる禁足地の聖域となっています。
能登国が越中国の一部だった時代はここが越中国一之宮でした。
本殿は、両流造。流造の本殿は各地の神社でみられるが、両流造はここと広島県の厳島神社のみとのこと。屋根に千木や鰹木がないので神仏習合の仏教の影響が濃厚ですな。

これにて、5日間の訪問、観光、参拝終わり。
最後は、金沢港にてすしセットいただきました。


さすが、金沢港!あぶりのどくろも美味しく、どれも最高でした。

金沢駅の金沢百番街にてショッピングして終了。
私は、金沢よ北陸新幹線にて東京へ。
メンバーは、神谷ドライバーと関西へ。

5日間いろいろありがとうございました。
前半は風が強く、中盤は天気が良く、後半は週間予報ではどっぷり雨予報でしたが、雨予報がほぼ消え、行程には影響なく楽しめましたね!

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