③:12月3日(火) 橿原 〜 櫻井
朝、まずは神武天皇陵へ。127歳崩御。長生きされましたね。
宮内庁管轄域でしたね。
続いて、東麓から畝傍山199m登山&縦走して畝傍山口神社へ。
大阪最高点の大和葛城山もバッチリ見えました!
一路、三輪へ。
昼食は、三輪山本お食事処にて
元伊勢・桧原(ひばら)神社
元伊勢とは?
伊勢神宮内宮(皇大神宮)に鎮座するご祭神である天照大御神(八咫鏡)が以前に祀られた伝承を持つ神社のこと。
古典によると、皇祖人・天照大御神は10代崇神天皇までは皇居内に祀られていたが、皇女・豊鍬入姫命がその神霊を倭国笠縫邑に「神籬」を立て、その後理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、11代垂仁天皇の皇女・倭姫命が引き継ぎ遷座を現在の五十鈴川ほとりとされた。
古来通り本殿は設けず三ツ鳥居を通し三輪山を拝しました。ここは山の辺の道の一部で大神神社に続いていますね。
続いて、大和国一之宮・大神神社(おおみわ)
ご祭神は、大物主神(事代主神)
古来本殿は設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山(神体山)を排します。最古の神社の1社。
三輪山の語源にもなった大物主(蛇神)と姫の神話、
三輪山の名前の由来神話
美しい乙女・活玉依姫(いくたまより)のもとに夜だけ麗しい若者が訪ね、恋に落ち姫は身ごもりました。姫の両親は素性の分からない男を不審に思い、糸巻きの麻糸を男の衣の裾に刺せと教え、その夜実行。
翌朝、部屋に糸巻きは三勾(みわ)だけ残り、糸を辿ると山の山頂にたどりつきました。この山頂は大物主神が祀られていたので、お腹の子は神の子とわかりこの山の名前を三輪山、その子・オオタタネコは初代の神主となりました。
日本書紀より、10代崇神天皇の時代に百襲姫(ももそ)という方が大物主大神の妻となられますが、大神は夜にしか姫のもとを訪れないため、姫は顔をはっきり見たいと大神に願い、大神は明日姫の櫛をいれた箱の中にいよう。しかし箱を開けても驚いてはならぬと念をおした。明朝姫が箱を開けるとそこには小蛇が入っており、驚きのあまりに悲鳴をあげてしまいます。小蛇はたちまち麗しい男に姿を変え、約束を破ったことを責め、2度と会えぬと駆け出して三輪山へ帰りました。後悔した姫は、箸で陰部を突いて命を落としました。
箸墓古墳にまつわるお話です。
※蛇神の物語として、崇拝者の信仰として境内に好物卵がお供えされています。
・12月1日より三輪山登拝は当分の間中止!(登拝道復旧のため)
ご祭神は三輪山に鎮まっているので古来通り本殿は設けず、拝殿を通し三輪山を拝しました。
石上神宮(いそのかみ)
ご祭神は、3柱(剣)。
①布都御魂大神(ふつみたま)
出雲の国譲り神話上、天津神・武甕雷神(たけみかづち)が海に逆さに刺し、あぐらをかいて座っていた剣。また、神武天皇の国土平定に偉功をたてられえた剣。
②布留御魂大神
饒速日命(にぎはやひ)が天津神から授かった十種神宝の剣
③布都斯魂大神(ふつしのみたま)
素盞嗚尊が出雲国で八岐大蛇を退治する際に用いられた天十握剣(あめのとつかのつるぎ)。※別物:八岐大蛇の体内から出てきた天叢雲剣(あめのむらくも)。
日本書紀には「神宮」表記は、伊勢神宮とここ石上神宮だけであることから日本最古の神社の1つと言われています。
今日のお宿は、ホテル奈良さくらいの郷。
建築は、奈良県木材を使用した建築、奈良の地域に根付いた旬の大和野菜、地域ブランド食材を使用し「食」と「農」を豊かに感じれるホテルとうたっています。建物も美しいし、食事は楽しみ!
夕食はホテルのレストランにて。
あっ!デザート撮り忘れた(笑)
適量で7食とフルコースで、どれもとても美味しかったです。
本日も神話から日本のはじまりを学習しました〜!
あと地元食も習得(笑)! 良いですね〜。
宿泊:ホテル奈良さくらいの郷
④:12月4日(水) 櫻井 〜 大阪
朝食も美味しかった〜!部屋も広く快適でした。まだ開業2年ちょっととのことなので、予約の取れない宿になっていくこと間違いなさそうですね。
本日は、まず天香久山登山へ。
現代読みすると「あまのかぐやま」神話読みすると「あめのかぐやま」かな。
伝承によると、神武天皇は神武東征時「天香久山の土で土器を作り天津神を祀るなら大和平定を果たすと天津神から夢告された。
「天」という尊称が付いているし、万葉集でも詠まれているほど昔から神聖視されていたのでしょう。
山頂には、国之常立神と高龗神の神社(祠)がありました。
国之常立神は、神代7代の1代目。高龗神は、伊弉諾の剣先の雫から生まれた神。
どちらも天界のすごい神様だ。
そして天岩戸神社へ下山していくと、伊弉諾尊と伊弉冉尊の神社(祠)がありました。
伊弉諾伊奘冉は神代7代の7代目です。
下山して、天岩戸神社へ。
天岩戸神社は宮崎の高千穂、ただ、高山の位山登山した時、山頂付近にも天岩戸という聖地があり、山自体が飛騨一之宮・水無神社の神体山となっていました。
高千穂とここ天香久山麓以外に福知山市・元伊勢天岩戸神社、や天岩戸で調べると10数箇所あるっ!
歴史上1箇所のはずなのでどこがそうなんだろう?まさに神のみぞ知る!だな。
奈良時代の都・平城京へ
710年43代元明天皇(女帝)が律令制政治を行う都として藤原京より遷都したことが始まり。当時最先端で豪華だった唐の長安の都がモデル。
奈良時代は74年続き、天皇は計7代。
奈良時代もいろいろ激動でしたね。遣唐使が始まり、古事記や日本書紀が完成し、天然痘が大流行、国分寺作り、東大寺、鑑真和尚来日、万葉集など。
そして784年50代桓武天皇が長岡京へ遷都。
「平城京跡保存整備基本構想」により現在進行形だが2008年から復原工事をしていろいろと京内が整備され、第一次大極殿など復原されてとてもステキー!
昼食は、かごの屋へ。
いろんな定食があって迷ったが、すき焼き定食!
続いて、大阪へ。
河内国一ノ宮・枚岡神社
ご祭神は、4柱。
①天児屋根命(あまのこやね)
神話・天岩戸開きにて、祝詞を奏上しお祭りを行った「神事宗源の神」。
神話・天孫降臨にて、瓊瓊杵尊に付き添い降ってこられた神の1柱。
②姫御神(ひめみかみ)
天児屋根命の后神。
③武甕槌神(たけみかづち)
茨城・鹿島神宮のご祭神。武力と権威の神
④経津主神(ふつぬし)
千葉・香取神宮のご祭神。武運守護の神
いよいよ最後です。
大阪本町まで戻って来ました。
摂津国一ノ宮・坐摩神社(いかすり)
これまた簡単に読めない神社名ですね。通称:ざま神社
坐摩の語源は諸説あるらしいですが、神社のHPによると土地又は居住地を守り給う意味の居所知が転じたと。
ご祭神は、5柱を総称して坐摩大神。
①生井神 (いくい) 井戸の神
②福井神 (さくい) 井戸の神
③綱長井神 (つながい) 井戸の神
④阿須波神 (あすは) 宅地基盤の神
⑤波比岐神 (はひき) 庭の神
「上方落語寄席発祥の地」という碑がありました。
御堂筋の銀杏の街路樹が黄葉しています&ライトアップも始まっていて綺麗でした。このライトアップの発案者は大阪市長時代の橋本徹さんと神谷さんが言っていました。
ご神体を含め数々の神様の名前や第何代天皇など神話から古代日本の山や城や京、神宮、神社と6カ国を巡り、ちょっと深掘りし、楽しく学び、歩きました。
いろいろありがとうございました。
次は、越前〜若狭〜近江〜丹波国あたりですかね。
高千穂ガイドブログ