神話と自然の旅 若狭、越前、加賀、飛騨、尾張、近江国一之宮と神宮&城巡り(後半)

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③:5月13日(火)飛騨高山 〜 尾張一宮

本日は、まず奥宮・位山へ。
車で奥宮鳥居駐車場へ向かっていると、裾野のスキー場分岐で「約1km先のダナ平林道が崩落のため通行止め」と小さな紙表示が!!「ん?え〜!」
道は閉鎖されてはいないが、道は広くなさげなのでUターンすることにしました。

ここから5.5km先が位山の山頂・奥宮

分岐を左に入ったらスキー場。ここから山頂の奥宮まで登山道があり、一般の登山ツアータイムが往復5〜6時間。今日は麓のスキー場から山頂方面の写真を撮りました。
奥宮や天の岩戸へは登山者のみですな。

位山の奥宮?ここは知る人ぞ知る伝説の山です。神話時代から今に続く日本皇室にとって大切なモノが採取される霊峰としていくつかの伝承や記録があります。
伝説・伝承によると、第38代・天智天皇に笏を献上。その「正一位」の官位を賜けたことから木は「イチイ」と呼ばれ、イチイの木が採取された山は位山と呼ばれるようになった。
笏木上納記録によると、1159年飛騨・水無神社よりイチイの笏1対を第78代二条天皇即位の際、献上。平安時代末期から明治、大正、昭和、平成、令和現在に至るまで、天皇即位で使う笏の材料はここ位山のイチイが選ばれ続いているとのこと。
以前、山頂の奥宮に大きな岩場があり「天の岩戸」と名づけられていてビックリしたことを覚えています。その後も宮崎の高千穂以外で「天の岩戸」伝承エリアいくつか出会いました。

では、
飛騨国一之宮・水無神社へ。
ご祭神は、御歳大神(みとし)。穀物の守護神(天候や自然の驚異から作物を守り、五穀豊穣、豊かな収穫が稔るため)
父が大歳神(おおとし/大年神)、祖父が須佐之男(すさのお)。
※他説では歳神様(としがみ)として、大歳神(大年神)と御歳神は同一視されている文献もあります。元旦に福徳を持って、その家の一年の守護を統べる来訪神が1説。
一般的には知られていない神様の名前なのでご存知の方は神様通ですね。
さて風習文化として、門松(依り代・よりしろ)、しめ縄(結界)、鏡餅(幸福が訪れる供物)などの正月飾りは、歳神様を迎え入れます。
昔はそれらの正月の飾り物はご近所さんを含めありましたね。マンションの前なんかに大きな門松とか置いているのかな?
そもそも高校以降、お正月は家にいないタイプだったですが、海外へ門松としめ縄と鏡餅やおせち料理は毎年持参していましたね。
家のドアに「しめ飾り」を掛けると、歳神様はこの結界を通って室内へと入られると信じられていますのでマンション住まいでも「しめ飾り」はできますね。福徳を迎え入れましょう!・ウラジロ=長寿、・ユズリハ=子孫繁栄、・ダイダイ=繁栄

追加ネタとして、「お年玉」の語源や伝承1説について!
『大歳神の魂(おおとしのたま)/福徳』は、かがみ餅に鎮まると信じられています。
その鏡餅をお雑煮や焼き餅として食べたり、かがみ割りして配って食べることで幸福が訪れるという思想が「大年魂/おおとしたま」→「おとしだま」と呼ばれるようになった説を聞き、ありえる!と思いましたね。
現在でも一部は形式が変わったとはいえ、受け継いでいますね。私が子供の頃はすでに餅ではなくお金でしたがね。ま〜福徳というポイントでいうと目に見える福徳ですね(笑)

鳥居からお宮まで広くてまっすぐ、そして境内のジャリはすべて掃かれ綺麗に均されていて気持ちよかったですね。

樹齢800年

境内は立派で太く高い木々が多くありましたねっ。
本殿に向けて歩いて、「清々しい〜」って思いましたね〜。その時私は、スサノオが出雲にて「この地に来て、我が心すがすがし」と言ったというイメージを思い出し、まさにこういう気分だったんだろうなーと思いましたね〜。神と人間はレベルやスケールは違うでしょうが(笑)
神職の方が、「熱田神宮のご祭神「草薙剣」は1945年の数ヶ月間、熱田神宮からここ水無神社に遷座されていた」という話をしてくれました。

では、岐阜県南の県境・木曽川を越えて犬山城へ〜!
ひるがの高原SAにて白山連峰をフォトストップ!展望台は反対側の下りのSAにしかないっ!と神谷さんが教えてくれました。上り線は駐車場から撮るしかない。電柱や電線やちょっとした建物など色々写っちゃいました〜。
だが〜! Googleスマホは、撮影後に写真内の不要なものは全部消せるのだ〜!
AIすごし(笑)  電柱数本と電線数本が消せました。
↓↓

大日ケ岳、別山、白山

昼食は、木曽川沿いのツアーにふさわしい名前「うな神」レストランにて。

名物・ひつまぶし

木曽川渡って、愛知県へ。

現存12天守・犬山城
天守は現存する日本最古の城。
1537年(室町時代)織田信長の叔父・織田信康が築城。
国宝5天守のなかで戦を経験した唯一の城であり、天下争いの最前線をかいくぐって残っている稀有な城。 天下人の信長や秀吉や家康がこの城をめぐる戦いに関わっていたようですね。

現代に見渡しても、見晴らしは良く良い所に城を築きましたね〜


つづいて
熱田神宮
へ。
ご祭神は、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)
古事記:スサノオ神が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して得た天叢雲剣(あめのむらくも)を天照大神に献上。続いてアマテラス神よりニニギ神に他の神器と共に天叢雲剣を託され高千穂の峰へ天孫降臨。
第10代崇神天皇の時代には、アマテラス御霊と共に笠縫宮経由、伊勢神宮へ。
第12代景行天皇の命により息子・日本武尊(やまとたける)は東方の蛮族制圧へ。途中、伊勢の叔母・倭姫命(やまとひめ)を訪ね、天叢雲剣を賜わり東征へ。相模国にて荒ぶる賊に野中で火攻めに遭い、持っていた天叢雲剣で周りの草を薙ぎり窮地を脱出、その地名は草薙となり、剣は「草薙剣」と名付けられた。東征後、尾張国に住む新妻・宮簀媛(みやす)と逢い、次の伊吹山の悪神ごとき素手で討ち取れると草薙剣を宮簀媛に預けて征伐へ。伊吹山の中腹で白い大猪に化けた山神と出会い、大氷雨に降られ日本武尊は弱り鈴鹿の能褒野(のぼの)にて崩御し白鳥となって河内方面へ飛んだ。113年宮簀媛は日本武尊の草薙剣を熱田の地に祀りこれが熱田神宮の起源。

大楠は、樹齢1,000年以上。弘法大師のお手植えと伝えられているとのこと。
1560年織田信長が熱田神宮にて桶狭間の戦いの戦勝祈願、そして勝利できた御礼として奉納した塀が今も綺麗に残っています。

本宮からぐるりと周りました。
宿泊地の尾張一宮へ。
夕食は、料理・いなずま屋にてほぼ貸切状態で楽しく美味しくいただきましたね。

宿泊:ABホテル一宮

 

 

④:5月14日(水)尾張一宮〜 〜大阪

全国で「一宮」の名を市にしている自治体はここ一宮市のみなのですね〜。
尾張国一之宮・真清田神社
ご祭神は、天火明命(あめのほあかり)。別名:天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(ニギハヤヒ)
古事記:弟・天孫降臨のニニギ。日本書紀:ニニギの子。
別名:ニギハヤヒの神話は、天照大神から十種の神宝を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って大和国(奈良県)に降臨。後、神武東征において大和地方の豪族である長髄彦(ながすね)が奉じる神として登場し、のち神武天皇に大和を譲った神です。
ニギハヤヒ尊が祀られている神社は多数あり、さらなる別名?他神同一話?など、神話伝説上未知数は高く、別名の方が認知度高く神話の舞台は大和国のみで記載されていたが、その後の記載や情報がないので未知が多く、系図上のポジションが不明なロマンある神様の1柱です

さて、拝殿から力強い太鼓の音が鳴り、本殿にて祝詞を奏上する日供祭が始まりました。
一宮にある一之宮で祝詞奏上が参拝できて良かったですね。

続いて、尾張国一之宮・大神神社(おおみわ)へ。
ここ尾張国には一宮が2社あるのです!
ご祭神:大物主神( おおものぬし)
大和国(奈良)の大神神社と同じご祭神です。大和系の人々が三輪の神をこちらにも祀った事が始まりとのこと。
大物主神についても、他の古文書や深掘り学習しても諸説ありすぎて、真実は不明のロマンある神様の1柱。
1説として三輪山神話より蛇神。
他説として大国主の子・事代主(ことしろぬし)。また、大国主神と同一されることもある神様。
また、大国主や大物主は個人名ではなく世襲名や役職名として代々またはすうい

近江国一之宮・建部大社
ご祭神:2柱・日本武尊(やまとたける)と大己貴命(おおなむち)
日本武尊の父・第12代景行天皇は武尊の功績をたたえて建部と名づけて鈴鹿の能褒野に社殿を創建。その後、第40代・天武天皇時代にここ瀬田に奉還され、大己貴命を奉祀して近江国一之宮として尊崇。平治物語には、源頼朝が平家に捕らわれた際、参拝して前途を祈願して、後に多くの神宝と神領を寄進したと記されていますね。
大己貴命は別名:大国主神。

昼食は、蕎麦・小松家にて。チョイスでオーダー。

午後は、琵琶湖畔の古都・近江大津宮跡の近江神宮へ。
ご祭神:第38代・天智天皇(中大兄皇子/なかのおおえ)。父は、第34代・舒明天皇、母は、35代皇極天皇(重祚して37代・斉明天皇)の子。
歴史書物上、中大兄皇子時代から大事態や大事変とめまぐるしい激動の時代の変化期で学生時代社会したね。簡単に振り返ってみました。
645年(乙巳の年)飛鳥時代・乙巳の変(いっしのへん)は、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を宮中にて暗殺した。そのことを知った父・蘇我蝦夷は焼自害。皇極天皇は自ら退位。645年 皇極天皇の弟が第36代・孝徳天皇として難波宮にて即位。
天皇または、甥っ子の両皇子・中大兄皇子・大海人皇子(おおあま)が「日本で初めて元号・大化」、「豪族中心政治から天皇中心政治へ」、「公地公民制」、「国郡制度」、「班田収授の法」、「公民に税や労役を負担制度の改革(租・庸・調)」など各分野で推進した制度や改革を「大化の改新」とよぶ。
弟・大友皇子が第37代・孝徳天皇として難波宮にて即位。
655年 斉明天皇(皇極天皇重祚)孝徳天皇の姉
663年に白村江の戦いを起こすも敗戦。
668年 中大兄皇子が第38代・天智天皇として近江大津宮にて即位。
弟・大海人皇子が皇太弟。当時、皇位継承は親子より兄弟が優先。しかし、後に天智天皇は息子・大友皇子(おおとも)の皇位継承の意を表しだしたので、弟・大海人皇子(おおあま)は身の危険を察知して吉野へ逃れて出家。
「天皇の詔」により天智天皇崩御後、子・大友皇子が第39代弘文天皇として即位。
後、大海人皇子が大友皇子と皇位をめぐって、古代最大の内戦である兵を挙げて「壬申の乱」が起こった。結果、近江朝廷が滅び、大海人皇子が勝ち、天武天皇として都は飛鳥エリアへ遷都。

天智天皇の御製「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」が鎌倉時代の小倉百人一首の巻頭に。近江神宮ではかるた祭が行われています。
百人一首競技かるたが、漫画やドラマでも取り上げられ人気がありましたね。
近江神宮下の神宮茶寮にて休憩。

開運ぜんざいセット派、神宮どらやきセット派で分かれました(笑)

最後は、日吉大社へ。
京の都や江戸の鬼門を守護する役割を担う比叡山・延暦寺の守護にはじまり、
ご祭神:西本宮:大己貴神(おおなむち)。別名:大国主神。
東本宮:大山咋神(おおやまくい)。大歳神(水無神社神)の子。地を守る神様
そして、ここには神猿(まさる)伝説もあります。 「魔去る」、「勝る」の意。

以上。
一路、大阪へ。

いろいろありがとうございました。
今回も神話や日本の歴史を深掘りしましたね!

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